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About

技建の歴史

技建は私、桑木野芳明が1977年5月に開業し、同年9月に法人「日本住宅技建株式会社」として設立しました。
当初は木造住宅専門でしたが、2000年ぐらいから商業施設の企画設計も依頼され施工まで手掛ける様になり、
現在は住宅を基本に、収益アパートや商業施設の誘致など、不動産事業も手掛けています。

創業者プロフィール

鹿児島から東京の大学を卒業後、そのまま東京で東京電力の下請けの土木運輸会社に勤めました。
その会社を退社後、上場企業の総合建設コンサルタント会社に勤め、そこで大手企業の宅地分譲開発、ゴルフ場開発などの不動産業務や土地開発に携わり、最適な建築計画を実行するための専門的な知識やノウハウ、各種資格を取得し、1977年、生まれ育った鹿児島に戻ってきました。
地元では、鹿児島の住宅会社で働き、営業を担当。
入社後間もなく川内営業所を開設することになり、所長として勤務することに。
しかし2年も経たないうちに本社の業績が悪化して倒産。
契約済のお客様のご理解やご支援もあり、一念発起し、業務を引き継ぐ形で独立しました。

HISTORY

1977年9月

創 業

28歳で独立。
法人「日本住宅技建株式会社」として設立。
当時は薩摩川内には住宅会社が少なく、鹿児島市内でも融資から建築までの全てをアドバイスできる会社があまりありませんでした。
東京での経験を活かした、お客様にとって密度の高いご提案ができる点を強みに他社と差別化が図りました。

1982年

ツーバイフォー工法代理店に

まだ鹿児島県では導入が珍しかったツーバイフォー工法(2×4工法)の導入を打診され、本場アメリカへ視察に行きました。
従来工法と違って強度がかなりあることと、少し工夫をすることで準耐火構造にもなっているので、火災保険料もかなり安くなります。耐震性・耐久性・耐火性に優れ、またデザインにも自由度がきくツーバイフォー工法の代理店契約を締結。同工法に着手したことにより地場の工務店、建築会社をリードする存在に。
以来、地元、鹿児島県薩摩川内にて高気密・高断熱住宅のパイオニアとして実績を重ねてきました。

1989年1月

本社社屋建設

1994年1月

(株)技建に社名変更

会社設立20年を目前に、それまでの「日本住宅技建株式会社」から「株式会社技建」と社名を変更しました。
住宅はもちろん商業施設や収益アパートも含む、土地探しの不動産から設計・施工・管理、リフォーム、さらには資金計画、ローン返済プランまで何でもやります!
総合建設業としての看板を打ち出し、それまでの住宅オンリーのイメージを払しょくしたいと考えたからです。
地元のお客様からは“技建”という名前で親しまれていたこともあり、“技”術力ד建”築力の、“技建”として新たな歴史をスタートさせました。

1998年1月

(財)九州住宅宅地経営協会加盟

1998年7月

鹿児島県福祉住宅ネットワーク協同組合加盟

2000年4月

九州電力電化ビルダー会加盟

2001年1月

大型商業施設誘致に伴う

住宅に限らず、商業施設や遊技場などの士地の取りまとめから建築まで担うようになりました。
『家づくりは"まちづくり"である』というコンセプトを構築。

2012年2月

ZERO-CUBE営業開始

株式会社ベツダイとの「ZERO-CUBE」販売提携。
大分県の「株式会社ベツダイ」が自社開発した、人気商品住宅「ZERO-CUBE」のFC契約を締結しました。「ZERO-CUBE」は株式会社ベツダイが全国の建築会社とフランチャイズ契約することで、大量グループ受注によるスケールメリットを生かしたローコスト住宅です。シンプルなデザインが特徴で、1000万円~ながら上質な住空間を実現する、知恵や工夫が詰め込まれています。
私は創業当時から、お金を持っている人だけが家を建てるのではなく、若いご夫婦でも建てることができることが理想と言い続けていました。かつて家は退職金で老後に建てるものとされていました。若くして家を建てると、幼い子供が家を傷めたり、汚したりするから…。しかし、私はそれこそが家族の歴史を物語るものだと考えます。子どもと一緒に住めるのは人生の中でほんのわずかな時間しかありません。退職金をアテにしていては完成後、すぐにお子さん達は巣立ってしまいます。大きな家に夫婦2人きり、正月やお盆に家に帰ってくることだけを楽しみにしているなんて、なんともったいないことでしょう。
家族という育みこそが家の価値。多彩な家づくりを手掛けることで、一人でも多くのお客様のご要望に応えることをめざしました。

2017年10月

代表取締役に中村敏一就任
桑木野芳明は代表取締役会長に就任